2024年03月16日更新
光GENJI ジャニーズ 解散

【噂の真相】元・光GENJIの諸星和己が語る、解散の理由

80~90年代に一世を風靡し、社会現象にもなったジャニーズ所属の男性アイドルグループ「光GENJI」の解散について、元メンバーの諸星和己が、真相と解散の瞬間について語りました。

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今だから語る、元・光GENJI諸星が明かす”解散の真相”

出典:takakata1.blog.so-net.ne.jp
諸星和己


"1970年8月12日生まれ。1995年にジャニーズ事務所を脱退。光GENJI一の人気者だった通称「かーくん」。現在は自身が設立した個人事務所「株式会社スターズクルー」に所属。今なお俳優、歌手として活動しており、バラエティ番組を中心にテレビにも頻繁に出演、爆弾発言が度々話題となっている。"
すでに解散、もしくはジャニーズ事務所を辞めているアイドルの中で、もう一度見てみたいアイドルNO,1は…ダントツで光GENJIであろう。
人気絶頂の中解散した理由を諸星和己が語りました。
テレビ番組「ゲスゲスHEAVEN」(フジテレビ系)に出演した、元・光GENJIの諸星和己

引用元:blog.livedoor.jp(引用元へはこちらから)
諸星は、光GENJIの解散について思い切った発言を繰り返した

引用元:news.livedoor.com(引用元へはこちらから)
さらに光GENJI解散を決めた瞬間についても同番組内で語った

引用元:news.livedoor.com(引用元へはこちらから)

一世を風靡した"光GENJI"

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出典:matome.naver.jp
光GENJI


"光GENJIは1987年に結成されたジャニーズ事務所所属のアイドルグループ。諸星のほか、リーダーの内海光司、大沢樹生、佐藤寛之、山本淳一、赤坂晃、佐藤アツヒロの7人が、ローラースケートを履いて歌い踊るパフォーマンスで人気を博した。"
光GENJIはジャニーズ事務所に所属していたグループで1987年6月25日にGENJIと光の2つのグループが合体して誕生

引用元:dic.nicovideo.jp(引用元へはこちらから)
グループ名は「源氏物語」の光源氏に由来している。
ローラースケートを履いてステージ上を走る姿が印象的で80年代後半から90年代前半にかけ、爆発的な人気を誇った

引用元:blog.livedoor.jp(引用元へはこちらから)
小学生の間にローラースケートブームを巻き起こすなど、その存在は社会現象にもなった。
出展:Youtube

パラダイス銀河 〜 Diamond ハリケーン

1988年 1. パラダイス銀河 2. Diamond ハリケーン.

1988年3月9日にリリースされた3枚目のシングル「パラダイス銀河」は同年末の第30回日本レコード大賞を受賞

引用元:bestcd2.blog97.fc2.com(引用元へはこちらから)
累計売上は90万枚近くまで伸ばして、同年のオリコン年間シングルチャート第1位を記録した、光GENJI最大のヒット曲であり代表曲である。

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また同年のオリコン年間シングルチャートでは、「パラダイス銀河」「ガラスの十代」「Diamondハリケーン」で1・2・3位を独占した

引用元:bestcd2.blog97.fc2.com(引用元へはこちらから)
これはピンク・レディー以来の快挙だった。
しかし1994年8月31日に大沢樹生と佐藤寛之が脱退し、翌1995年9月3日に解散した

引用元:dic.nicovideo.jp(引用元へはこちらから)
実際には解散では無く卒業。また、大沢と佐藤が脱退した後、一時「光GENJI SUPER5」へグループ名を変更していた。
現在、光GENJIの元メンバーでジャニーズ事務所に所属しているのは内海光司と佐藤アツヒロ(敦啓)の2名のみとなっている

引用元:rocketnews24.com(引用元へはこちらから)

「仲が悪かった」赤裸々に解散理由を語った諸星

出典:www.cinematoday.jp
当時は諸星と不仲が噂されていた大沢樹生


実際には逆で、特に仲が良かったと話している。

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今なお俳優、歌手として活動している諸星和己

引用元:rocketnews24.com(引用元へはこちらから)
「ゲスゲスHEAVEN」に出演した元・光GENJIの諸星和己は、登場して早々の場面で解散した理由を話し始めた

引用元:news.livedoor.com(引用元へはこちらから)
諸星和己
「解散した理由は、仲が悪かったんだけどね」
引用元:blog.livedoor.jp(引用元へはこちらから)
一方、マスコミには大沢樹生との不仲で解散したと書かれたがそうではなく、逆に大沢樹生とは特に仲が良かったという

引用元:convenience.typepad.jp(引用元へはこちらから)

さらに解散を決めた瞬間についても語った

出典:atmatome.jp
今なお俳優、歌手として活動している諸星和己


"アイドル観について、「基本的に今の奴らと比べちゃいけないですよね。今の奴らは「アイドル」といっても、実力もビジュアルもセンスも、ほとんど「アーティスト」で。もう「アイドル」って言葉が似合わないですから。ただ、その一方で、僕らの時代にあった「アイドル」って言葉の持つ強烈なイメージは、彼らにないのも事実ですけど。「アイドル」っていうファンタジーの持っている力がないんです。そこだけは勝ちますね。」と語っている”
'94年の大阪城ホールコンサート時、「もうダメだなあ」と諸星が語るほど、解散が避けられない雰囲気になっていた光GENJI

引用元:news.livedoor.com(引用元へはこちらから)
諸星と大沢はコンサートが終わるといつもホテルで2人で食事をしていたという

引用元:convenience.typepad.jp(引用元へはこちらから)
大沢はステーキをナイフで切り、左から3番目の肉から食べ始めるのがいつものパターンだった

引用元:convenience.typepad.jp(引用元へはこちらから)

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諸星は常にハンバーグ、大沢樹生はステーキを注文していたという。
しかしこの日は、付け合わせのにんじんから手をつけるところを目撃。諸星はその瞬間の気持ちを「いつもパワーをつけるために、左から3番目の肉を食べてたやつが、ニンジンから食ったっていうのが」と話した

引用元:news.livedoor.com(引用元へはこちらから)
出展:Youtube

ガラス細工の宝物 〜 負けるな

1994年 1. ガラス細工の宝物 2. 負けるな (Hiroyuki Sato)

'94年の大阪城ホールコンサート時の動画です。

この姿を見て、もうこのグループはダメだなと思った諸星はメンバーを集めて、解散を宣言すると全員がそれに同意

引用元:blog.livedoor.jp(引用元へはこちらから)
諸星は、大沢のやる気のなさに光GENJIの終焉を感じ取ったという。
メンバー全員がグループでの活動に疲れ切っており、別の人生を歩みたがっていたと感じたという

引用元:blog.livedoor.jp(引用元へはこちらから)
それでも同番組で諸星は「昔のメンバーだったらもう一回やってみたいな」と「光GENJI」復帰への希望もポツリと漏らしたという

引用元:blog.livedoor.jp(引用元へはこちらから)
解散後の人生も振り返り、「一人って、こんなに辛いんだ」と感じたと話していました。

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まとめ作者