2020年06月03日更新
ジャニーズ 脱退 解散

NEWS手越祐也だけではなかった!メンバー脱退で悲惨な最後を迎えたジャニーズの3グループ

NEWSは特に極端な例だが、ジャニーズ事務所の所属グループには、過去にもメンバー脱退の例はいくつもある。そして、なかには、脱退劇を経て悲惨な終わり方をしたグループもいくつかある。本稿では、そのうち特に語るべき3グループについて紹介してみよう。

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メンバー脱退で悲惨な最後を迎えたジャニーズの3グループ

5月26日、「NEWS」のメンバー・手越祐也の無期限活動停止がジャニーズ事務所から発表された。手越が、新型コロナウイルス禍による緊急事態宣言下にあって、酒席に複数回参加していたことに対しての処分だった。また、これに関連して複数のメディアによる、「手越はすでにジャニーズ事務所を辞める意志を固めている」といった旨の報道もあった。

手越が在籍するNEWS(結成当初はNewS)は、メンバーが次々に離れていくグループとしも知られており、手越が近々辞めれば約9年ぶり6人目の離脱者となる。

NEWSはもともと、小山慶一郎、錦戸亮、山下智久、増田貴久、内博貴、加藤成亮(現・加藤シゲアキ)、手越祐也、草野博紀、森内貴寛の9人グループとして、2003年11月に「NEWSニッポン」というCDシングル(セブン-イレブン限定発売)でデビューしている。また、メンバーのうち、錦戸と内は「関ジャニ∞」のメンバーも兼任するというジャニーズ事務所では珍しいスタイルが採られた。

ところが、同年12月に、「学業に専念する」という理由で、最年少メンバーで、有名演歌歌手を両親に持つ森内貴寛の脱退が発表される。売り出し中のアイドルグループから、デビューからわずか1カ月後にメンバーが抜けるというのはなんとも不可解で、発表された理由も疑問符が付くものだった。なお、同時にジャニーズ事務所を離れた森内は、のちにロックバンド・ONE OK ROCKのボーカルとして再デビューし、カリスマ的な人気を得ることになる。
引用元:biz-journal.jp(引用元へはこちらから)

NEWSは3人グループになってしまうのか?

森内が去った後は8人で活動していたNEWSだが、その後もメンバーの脱退が相次ぐ。2005年7月に、当時18歳だった内博貴の飲酒が発覚し活動を自粛。さらに翌2006年1月に、今度は草野博紀の未成年飲酒報道があり、同年中は、NEWS全体の活動がストップすることに。そして12月になると、内と草野が事務所の研修生扱いになることが発表され、正式にNEWSのメンバーから外されたのだった(内は関ジャニ∞からも離脱)。

以後、6人編成になったNEWSは低迷することなく、しばらくの安定期に入る。ところが、2011年10月に主軸メンバーの山下智久が「ソロ活動に専念」、錦戸亮が「関ジャニ∞としての活動に専念」を理由にそれぞれ脱退していく。

山下と錦戸を失うことは大きな戦力ダウンかと思われたが、それでもNEWSは死ななかった。小山、加藤、増田、手越と4人になってからもドーム公演を度々行うなど、高い人気を維持した。

そんななか、2018年6月に、久しぶりにファンを心配させる騒動が起こる。最年長メンバーの小山慶一郎が未成年者との飲酒騒動を起こすのだ。だが、小山には重いペナルティは科されず、早期に活動再開となった。

それから約2年。今度は不謹慎行動により、手越祐也の脱退の可能性が浮上した。さて、一定の冷却期間を置いて手越はNEWSに復帰するのか? それとも、NEWSは3人グループになってしまうのか?

NEWSは特に極端な例だが、ジャニーズ事務所の所属グループには、過去にもメンバー脱退の例はいくつもある。そして、なかには、脱退劇を経て悲惨な終わり方をしたグループもいくつかある。本稿では、そのうち特に語るべき3グループについて紹介してみよう。
引用元:biz-journal.jp(引用元へはこちらから)

01、寂しい幕切れを迎えた光GENJI

1987年8月にシングル「STAR LIGHT」でデビューした内海光司、大沢樹生、諸星和己、佐藤寛之、山本淳一、赤坂晃、佐藤敦啓の7人グループ・光GENJIは、短期間で社会現象ともいえる爆発的な人気を獲得した。1988年にはオリコン年間シングルチャートの1位~3位を独占するなど、ジャニーズ史上でも最高の人気グループだった。

過渡期を迎えるのはデビューから7年目の1994年のことだ。その頃になると、光GENJIのシングル曲はオリコン週間チャートで5位以内にも入らなくなっていた。一方で、3月に後輩グループであるSMAPがデビュー2年半にして、「Hey Hey おおきに毎度あり」で初の1位を獲得。また、9月にはTOKIOのデビューも控えていた。そんな年の8月、大沢樹生と佐藤寛之の光GENJI脱退、ジャニーズ事務所離脱が発表されるのだ。これは、トラブルの色合いは薄い、光GENJIからの“卒業”のニュアンスが強いものだったようだが、グループにマイナスイメージをもたらしたのは確かだった。

残った5人は「光GENJI SUPER 5」というグループ名で再出発するが、再浮上はならず、改称から1年程度で事実上、解散してしまう。ただし、現在の嵐のように、解散の日までさまざまなビッグプロジェクトが用意されるわけでもなく、“解散フィーバー”のような現象は発生しなかった。しかも、ファイナルライブのステージは、東京ドームでも横浜アリーナでもなく、キャパ1万人程度の名古屋レインボーホール(現・日本ガイシホール)と、その絶頂期を思うとかなり寂しい幕切れとなったのだった。
引用元:biz-journal.jp(引用元へはこちらから)

02、男闘呼組はメンバー解雇で即解散に

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光GENJIはファンに別れを告げて去ることができたので、まだマシなのかもしれない。ファンを置き去りにする形で唐突に消えたのが、成田昭次、前田耕陽、高橋一也、岡本健一による4人組「男闘呼組」だ。

バンド形式のグループで、1988年8月にデビュー曲「DAYBREAK」がオリコン初登場1位を記録。その年のNHK『紅白歌合戦』に出場も果たし、翌年には東京ドームでコンサートを行うなど、光GENJIに次ぐ人気グループだった。

当初は、プロの作詞家・作曲家に提供された曲を歌っていたが、メンバーはアイドルバンド的な扱いを受けることに抵抗があったのか、デビュー数年で自作曲を中心とした音楽活動にシフトチェンジしていく。歌詞の内容もアイドルらしからぬ過激なものが多かった。1992年には3カ月連続でオリジナルアルバムをリリースするなど、バンドとして意欲的な姿勢を見せていた。

ただ、そうした“脱・アイドル路線”は、ファンが望む方向と違ったのかセールスは徐々に下降。一方、同じ1992年には、まだ22歳だった成田昭次が結婚するという、ジャニーズ事務所所属タレントとしては異例ともいえる出来事もあった。

その終幕はあまりに突然訪れた。 1993年6月にメンバー全員が出演していた舞台『スラブ・ボーイズ』の終了後に、高橋一也(現・高橋和也)がジャニーズ事務所から突然、解雇されるのだ。これをもって、男闘呼組はジ・エンド。ファイナルライブを行うことも、ファンにメッセージを残すこともなく解散となったのだった。当時はインターネット普及前であり、ファンは悲しみや憤りをぶつけるすべも与えられず、呆然とする以外になかったのだろう。

なお、高橋の解雇理由は明らかにされなかったが、のちに岡本健一は解散について「本当に闘いを呼んでしまった」と発言。なんらかのトラブルが発生したことは確かなようだ。ただし、その後の高橋は、“ジャニーズをクビになったNG人物”として芸能界を干されることはなく、俳優として現在に至るまで、数多くのテレビドラマ、映画、舞台作品に出演。NHK大河ドラマ『真田丸』では、岡本との共演が実現している。
引用元:biz-journal.jp(引用元へはこちらから)

03、解散告知すらなかったグループ「四銃士」とは?

メンバー脱退を経たグループの終わり方の悲惨さでは、光GENJI、男闘呼組とともに「少年御三家」と呼ばれていた「忍者」が群を抜く。

柳沢超、志賀泰伸、遠藤直人、正木慎也、高木延秀、古川栄司の6人編成で、1990年に「お祭り忍者」で歌手デビュー。その年の『紅白歌合戦』に出場し、日本レコード大賞の最優秀ポップス・新人賞を受賞するなど、滑り出し快調にも見えた。しかし、他の2グループとの人気の差は歴然で、それはCDのセールスにも露骨に表れていた。『紅白歌合戦』出場も1度きり。かといって、各メンバーがドラマやバラエティ番組で大活躍……というわけでもなかった。

そんな忍者は、デビューから4年後の1994年に脱退者を出す。理由については特に発表されずに志賀泰伸と古川栄司がグループを離れ、そのまま事務所も辞めている。ちなみに最年少でセンターメンバーだった古川については、過去に「週刊文春」(文藝春秋)が、「肥満体になったことをジャニー喜多川氏に咎められたが、改善しなかったため」といった旨の、笑えない脱退理由を報じたことがある。

残った忍者のメンバーは、「四銃士」とグループ名を改称。だが、光GENJI SUPER 5同様、そこからの人気V字回復はならず。CDのリリースが途切れ、メンバーのメディア露出も減少していく。それでも、1997年までは散発的な活動が続いていたが、翌年になるとグループとしての活動はゼロに。そして、解散ライブを開催しないばかりではなく、なんと「四銃士は解散します」というオフィシャルな発表がないまま、いつの間にか存在がなかったことになっていたのである。ジャニーズJr.内グループの告知ナシ消滅はよくあることだが、メジャーデビューを果たしたグループとして、事務所の四銃士に対する扱いは、なんとも無慈悲なものだった。
引用元:biz-journal.jp(引用元へはこちらから)

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